自分カウンセリング

放送大学ほか日ごろの勉強のこと、お買い物のこと、コンプレックスのこといろいろ

中高年の心理臨床

今学期、放送大学で10科目とっています。

そのうちの一つが「中高年の心理臨床」。

自分がさしかかっている問題だし・・・と予防の意味もかねて

軽い気持ちでとってみました。

 

回が進んで「高齢期の心の病」を今日聴いたのですが、

認知症うつ病のことでした。

認知症に関して

「正常の心理も併せ持っていることへの配慮が必要」

とあります。

対応として年齢相応の敬意をもって接するとあり、これはそれほど難しくなかったと思います。

というのは、先日他界した義父が認知症で、ある時期自宅で世話をしていたのです。

物盗られ妄想などの対応も、一緒に探して、本人に見つけさせるとあり、それもやっていました。ただ、度々繰り返すので場合によって芝居が雑になってしまうこともあり、年相応の敬意を持っていたか疑問…のこともありました。

生き甲斐を持たせるということもあるのですが、これはできませんでした。

その方の年齢にもよるのだと思うのですが、義父の場合、積み重ねていくことができなくなっていました。私のほかにケアマネージャーや、デイサービスのスタッフの方がいろいろできることを褒めたり、自分でやってみませんかと進めてくれたりしていましたが、その時はよくても次の機会では前回のことを忘れているのはもちろん、逆に怒り出したりすることもありました。

子どもは学習してできることがどんどん増えていくから、親はそこそこの忍耐力でいろいろなことを教えていきます。ゴールが見えるのですよね。

でも認知症のお年寄りはそうではないことがたぶんほとんどで。

一日中一緒にいたら毎回それに付き合う気力は続かず、時には怒りをぶつけられる恐怖もあり。

授業で聴いたとこはいちいちもっともだけど、それを実際にできるかというとなかなか難しい。

 

一生懸命やっていたそのころの自分は確かにいたのだけど、客観的に学んでみるともっと上を目指してもっと幸せな余生にしてあげられてのかもしれないと、自分の至らなさを感じます。(その後、義父は入院してしまい、つきっきりの日々は終わりました。)

自分の実の親にはそうしてあげられるのだろうか。

義父にはそれほど思い入れもなく、嫁として嫌な思いもしていたのでそこまでできなかったと思いたいけれど、自分の親のときも途中で嫌気がさしてしまうのではないかと、自分に確信が持てません。

仕事だと思えばできるのか、愛情があればできるのか。どちらが真実かしら。

 

本来老人介護のために勉強しているわけではないのだけれど、学ぶことになったのでこれからのために正しい知識を得て自分に余裕を持たせておきたいと思います。