自分カウンセリング

放送大学ほか日ごろの勉強のこと、お買い物のこと、コンプレックスのこといろいろ

買い物中毒の件3


新しい洋服や、バッグなど。今買わなくても毎シーズン素敵な物が登場する。
だから、ワンシーズン買わなくたって問題ない。
別に最新モデルが欲しいわけでもない。事実、数年前に買ったお気に入りを普段使いしているし、前の年に流行ど真ん中じゃない物を買うと、翌年それが来る場合もあり、ワンシーズンでおしまいな物を買ったことはほとんどない。
雑誌をみて、毎月毎月欲しい物が出て来るわけでもない。
3ヶ月に一回くらい気になるものがあって、それをお店になんとなく見に行って、タイミング良く出会えたりすると、買うのが当然のような気持ちになる。
昨日も他の用事でデパートに行ったのに、ポイントカードの貯まったポイントを商品券にしようと、発券機に向かったらブランドショップが目に入り、数日前に見た靴のことを思い出した。
靴のコーナーに直行したら、あった。思った通りのかわいさで、同じシリーズのハイヒールもあることが判明。もう履いてみるしかない。
履いてみたら思った以上のかわいさで!形は定番だけど、小技が効いている。しかも上質。長く履けるのは間違いなく、もう買わない理由は見つからなかった。

ただ、他に必要な物は?そのお金の使い道それでいいの?と問いかけてみたりはする。
旅行ができたよ、とかソファーの買い替えができたよ、とか。

でも、あまり後悔はないんだよな。また働けばいいし、って思う。

自分の行動を他の友人と比較すると、みんなどれだけ蓄えているんだろうと思う。
それも必要かなと少し思い始めたので、何かが自分の中で変わり始めているかも。


人の振り見て…

夏休みが終わり、息子たちが普段通り学校へ行くようになりました。

夏休みの終盤といえば宿題の追い込み。
二人ともギリギリまでため込んで、提出日までまだ猶予がある物などはまだ終わらず。
体たらくぶりにイラっとしますが、私も最後の三日が大変なことになるダメな学生でした。
最後の3日で終わるなら、最初の3日でやっちゃおうよと思って何と無く友達とそんな話をしたら、その子は本当に最初の3日で終わらせて、私は相変わらずの夏休みだった思い出もあります。
でも、どうにか終わらせていたけど、それもままならないっていうのは…。心配になります。

部屋も片付いてなくて、これじゃ勉強できないよ、と叱りつつ自分が溜めている家事もあるな…。
で、ここ数日、息子らに怒りが湧き上がった時は皿を猛スピードで洗ったり、起きっぱなしになった物を片付けたりしてます。案外すっきりする。
でも、わたしはこれでいいけど、息子たちそれでいいのかしら。叱られないということは良いようで大変なことだと思うのだけど。

お買い物中毒の件 2

カバの記事は少し前に書いたものが未同期になっていて、久々に読んでアップしました。
その後そのバッグはかなりヘビーローテーションで後悔などないのだけど、ふとしたことで私に相応しいのか?と疑問が湧き上がるアイテムです。

例えば混んだ電車の中で、見知らぬおじさんの汗が付くのが嫌でバッグをかばっている時に「こんなバッグを持つ人は電車なんか乗らなきゃいいんじゃないの?」とか。だいぶ昔にイタリア語教室に行っていた時、有る程度以上の生活水準がありそうな人が多かったのですが、特にそんな感じの女性は、都区内の電車の便が良いところに住んでいても移動は車が当たり前と。
でも自宅から車だとそれなりのコストも時間もかかる。ということは、このバッグを持つ人はもっと都心に住まなきゃいけないんじゃないとか。
車は、環境のことを考えても、それほど使いたくはないけれど、住居はもっと都心がいいなと思います。バッグを相応しくないと卑下するより相応しくなりたいのです。

それはそうと、上質なものに惹かれる自分について、さかのぼってみると、小学生かな。
私は末っ子同士の地方出身の夫婦の子どもでした。小学生の間は住居は公営住宅でした。でも父親がちょっとこだわりの強い人で、JAZZをこよなく愛してたし、趣味で仏像などを油彩で描いたりしていました。JAZZを聴くためのスピーカーは劇場用の大きなものを六畳の和室に置いてしまうような人。
娘の洋服などもそれなりに選んでいて、写真に残っているような服はちょっと良い物だったと思います。何かの節目にはワンピースやコートをデパートで購入していました。かなり選ぶのに時間がかかっていたのを記憶しています。子どもが普通に欲しがる方なフリルやレースの物ではなく、生地が良いとか、柄が良いとか、上品に見えるとかそんな物を選んで着せられていました。
そんな両親は雛人形を選ぶ時も顔にこだわり一日中歩いて探したという話もしてくれました。今となるとそんな彼らのチョイスはとてもツボで、ちょっと誇らしい。
そんなことで、買い物は運命の出会いだし、真剣。ということが刷り込まれているように思うのです。
あとは、「あなたは大事に使う(着る)から多少高い物でもいいと思う」と母が言っていたこともあり、それが根底にあるのです。




買い物中毒の件

いくつかの事柄について長期的に綴ってみることにしよう。
結論はすぐに出ないから、まとまりがない文章になるけど、続けてみるのもいいかな。

まずは買い物の件だけど。

とりあえず、払える範囲内で買い物をしているのだけど、ちょっとギリギリすぎる、というか、あればあっただけ遣えそうな自分にちょっとびっくりしている今日この頃。

最近の飛び降りアイテムは
もし、買い物をやめたいと思うのなら、まず、伊勢丹に行ってはいけないとわかっている。
ボッテガヴェネタのイベントは一年前にもはまり、色が気に入ってバッグと靴を買った。靴はフル活用でよかったけど、バッグは私にはちょっと小さくて出番が少なかった。とはいえ後悔はしていない。ただ、買わなかったら買わなかったでもよかったかも。
そのあと普段の売り場でボッテガヴェネタに惹かれることはなかったのに、DMをみたら、アーカイブのカバの展示が気になった。で、売り場ではなくて、展示してあるところに行ってみた。素敵な数々。でも非売品だから大丈夫!と思ったのに、少し離れたとこに売っているものも。見るだけみてみようと足を踏み入れたら、パープルのカバが!少し前のシーズンのもので、そのときすぐに売り切れたものがイタリアから取り寄せられて並んでいるそう。紫はツボ。紫のものは買わなくてはいけないような、買っても良いような変なマイルールがあって、すっかり買う気持ちに切り替わってしまった。
高価だからドキドキするけど、一生使うし…と、また納得する言い訳。
実際、その後、使ってます。荷物が多い私には運命のバッグかもしれない。


久しぶりにはいてみたスカート

確か2年くらい前にsacaiで買ったスカート。
ちょっと丈が短いし、といっても膝小僧が出るくらいだけど、白だし、透ける素材が多用されていて…まあ、存在感があるのです。
でも、最近お洋服の趣味がエスカレートしてきて、久しぶりに見たら全然大したことないような…。
で、とてもオーソドックスなブラウスと合わせたらシンプルにまとまりました。

こんな感じで、ちょっと前に買ってその時あまり出番のなかったものも、その後大事に着ていけるということが多いです。なので、あまりお買い物に後悔はないのです。
基本的には惚れて買っているので。ファストファッションのお店でなんとなく買ってしまったものなどは本当にお蔵入りかパジャマになるんだけど。

かと言って、可処分所得に対するお洋服の割合が高すぎるのは、やはり問題。
旅行に行けたなと思うことも、高級時計買えたなと思うことも。
もうちょっとお金の使い方の視野を広げてみようと思います。

新生活

息子たちの新学期が始まって、七時半には誰もいなくなるので私もその時間に出かけてプールに通っています。
帰りもだいたい私が最初に帰宅する感じで、何かに焦ることも減りました。帰ってきて「今日病院に面会に行けなかった」とか、ちょっとした後ろめたさを毎日味わうことも無く。

夫の両親と同居していたけれど、それが思っていたよりも早く終わったので、ちょっと気が抜けてます。
なんとなく家を開けられず、旅行も封印していたし、出前をとったり外食したりも控えていたし。
音楽を聴くのも歌を歌うのもお酒を飲むのも人目を気にしてだった。面倒臭いから。

家族に影響がないようにできることはしていたけれど、行動力は半分くらいになってこの16年くらいを過ごしてきたと思う。
でもその間に子育てという日々ときめくことをしていたからちょうど良かったのかもね。
ちょうど子どもも二人とも高校生になり、同居も終わり、第二の人生が始まったように思います。

もう、何かウダウダする理由は何もないから。言い訳しないでがんばろう。がんばろうって言うのはちょっと違うかもしれないけど。
毎年年度がわりに心機一転を意識していたけど、今年は無理やりではなく本当に心機一転。
ワクワクします。