自分カウンセリング

放送大学ほか日ごろの勉強のこと、お買い物のこと、コンプレックスのこといろいろ

お買い物中毒の件 2

カバの記事は少し前に書いたものが未同期になっていて、久々に読んでアップしました。
その後そのバッグはかなりヘビーローテーションで後悔などないのだけど、ふとしたことで私に相応しいのか?と疑問が湧き上がるアイテムです。

例えば混んだ電車の中で、見知らぬおじさんの汗が付くのが嫌でバッグをかばっている時に「こんなバッグを持つ人は電車なんか乗らなきゃいいんじゃないの?」とか。だいぶ昔にイタリア語教室に行っていた時、有る程度以上の生活水準がありそうな人が多かったのですが、特にそんな感じの女性は、都区内の電車の便が良いところに住んでいても移動は車が当たり前と。
でも自宅から車だとそれなりのコストも時間もかかる。ということは、このバッグを持つ人はもっと都心に住まなきゃいけないんじゃないとか。
車は、環境のことを考えても、それほど使いたくはないけれど、住居はもっと都心がいいなと思います。バッグを相応しくないと卑下するより相応しくなりたいのです。

それはそうと、上質なものに惹かれる自分について、さかのぼってみると、小学生かな。
私は末っ子同士の地方出身の夫婦の子どもでした。小学生の間は住居は公営住宅でした。でも父親がちょっとこだわりの強い人で、JAZZをこよなく愛してたし、趣味で仏像などを油彩で描いたりしていました。JAZZを聴くためのスピーカーは劇場用の大きなものを六畳の和室に置いてしまうような人。
娘の洋服などもそれなりに選んでいて、写真に残っているような服はちょっと良い物だったと思います。何かの節目にはワンピースやコートをデパートで購入していました。かなり選ぶのに時間がかかっていたのを記憶しています。子どもが普通に欲しがる方なフリルやレースの物ではなく、生地が良いとか、柄が良いとか、上品に見えるとかそんな物を選んで着せられていました。
そんな両親は雛人形を選ぶ時も顔にこだわり一日中歩いて探したという話もしてくれました。今となるとそんな彼らのチョイスはとてもツボで、ちょっと誇らしい。
そんなことで、買い物は運命の出会いだし、真剣。ということが刷り込まれているように思うのです。
あとは、「あなたは大事に使う(着る)から多少高い物でもいいと思う」と母が言っていたこともあり、それが根底にあるのです。