自分カウンセリング

放送大学ほか日ごろの勉強のこと、お買い物のこと、コンプレックスのこといろいろ

放置していたこのブログ

根気がない。
日記も続かない。
放置している間に、放送大学はあと二単位で卒業というところまで進みました。
逆に、買い物中毒というか依存症というか、は相変わらずです。
放送大学でもアディクションについて学んだり、認知行動療法やマインドフルネスを学んだりしましたが、深まっていないのか、自分の買い物事情に変化はありません。
逆に耐性ができてしまったかのようで、「この症状はないから依存症とはいえないのかな?」とか違う方向から否認しているのではないかと思ったりもします。それこそ依存症の症状かもしれないですね。

買い物依存で検索すると、よくある行動パターンとして、「買ったらそのまま置きっぱなしで、使わない」というものがあります。それがまず違う。服やバッグなど、翌日から使用します。
以前に買って、使っていないものがあるのは嫌だと思って、スカートなど端から順番に着用したり。いらないなら売ってしまおうと思って棚卸ししてみても、結局たまにニットやシャツのインナーとして買うファストファッションの物くらいしか候補にあがらないのです。
買ったものに後悔はないです。ただ、そんなにたくさんいらないよね、と思っています。
それなのに新作を求めて店に出かけ、恋に落ちるように買う…。ただ、運命の恋と言えるほど大袈裟ではない恋でも手を出してます。そしてそれは予算オーバー。だから、やめた方がいいとわかっています。なのに、買ってしまう。なぜ?

逆に恋に落ちないような物は本当に買わなくなりました。「これよりも既に持っているあれの方が素敵」と却下できるのです。

なんだろう。買い物依存ではない何か別の依存症かな?と思っていろいろ考える今日この頃です。
この続きを書くかしら。またしばらく放置かな…。

したいことはたくさんあるのに

フランス語のテキストとか、編み物の道具とか時間ができたらやろうと思って毎日持ち歩く。でもほとんど運んでいるだけ。時間はあったはずなのにそこまでたどり着かないで毎日が過ぎていて・・・。

時間を無駄遣いしているということをふと考えると怖くなる。

とりあえず30分でも毎日毎日何かちゃんと積み重ねたい。

毎日そう思っているようで、ぼーっとしている時間ばかり積み重なっているような気がして焦るような自己嫌悪のような。

これは、少し暇な時に私が陥る症状。

暇は好きなのに、しばらくするとそれが原因で鬱々とした状態になる。

いい加減、それから脱却したい。

自分で課題を作ってそれを遂行して、という感じで忙しさを与えればいいんじゃないかと思うのよね。何かに追われなきゃダメじゃなくて、自分で自分を追うような感じ。

がんばろう。

友だちと経済状況

古くからの友達と、結婚後いろいろ道が違ってきている。
同窓会なんかはたまにその場で会うだけだから同じ時間を楽しく共有できる。
でも、一緒に旅行に行こうとか、たまにはゴージャスなランチしようかとかお金がかかることになると好きな友達と必ずしも一緒に行動できるわけではない。

もちろんお金があるから幸せかというとそうではない。私のように家があると自由になるお金も多少あるけど、それは長年の義父母との同居の賜物だし、それのせいで夫とはかなり冷え込んでいる。
住宅ローンや夫の低収入などで金銭面で苦労はしても、尊敬できる伴侶と幸せだと感じながら暮らしている人もいる。

だかだ見下すような気持ちは毛頭ないし逆に自分の結婚生活の失敗(って言っちゃうのもなんだけど)は恥だと思ってる。
だからと言って、そう話したとしても真っ直ぐに受け止めてもらえるかはかなり疑問。
相手より自分のほうがマシだと思いたいしその部分をどうにか見つけてやりすごしている人もいるから。
だからその辺りには触れないようにして付き合いを続けていて、なんとなく合わせてしまったりとか、ちょっと良いことがあっても報告できなかったりするような。子どもの頃はそんなに気にしなくても良かったのに。(でも子供の頃からお金を使って遊んでいる子や、良いものを持っている子もいたかな)

今、ちょっとした夢として思っていることは、宝くじをあてて、お金の心配無しの旅行に友だちと一緒に行きたいということ。私が稼いでそれでっていうのもありだけど、それだとなんだか上下関係が生じるような気もするし。

日頃こんなことを考えているけど、これは私が自意識過剰だからなのかもしれない。
良くも悪くも開けっぴろげにしていたら、お互い案外嫌な思いしないのかな?




制服は没個性か

何年も前にテレビで制服は没個性だという人がいたけれど、バカな話だなと思ってた。
高校生の私服は、本人の個性ではなく親の財力や価値観が左右していると思う。

私服登校可能の高校に通う息子は、オシャレが好きで雑誌やお店で研究して、一つ買うならあれにしようかこれにしようかと考えている間に両方買ってもらっている友達がいてガッカリしたと言っていた。

だからといって、欲しいものを全て買い与えるようなことはしない。私も洋服が好きで、着せ替え人形のように洋服を買ってあげたいような衝動にも駆られるけれど、それでは成人後間違いなく苦労する。
まぁ、我慢させたら余計反動で苦労するような気もするけれど。

学生は、同じ制服を着ていたら、逆に個性が見えるのですよ。
個性的な子はどんな格好をしていても個性的だし、同じ格好をしていても同じ子なんて一人もいないのだから。

ウダウダとプチ決意

ここのところ、コタツで寝てしまう。
少し遅くまでおきていると、翌朝子供達のお弁当を作る時間に起きられないような気がしてそこで寝るようになったんだけれど、そうじゃない日もなんだかそうなってる。
ベッドの部屋が寒いこともあるし、私がリビングを離れると猫が寒くなると思ってしまって。
猫しかいない部屋に暖房を入れっぱなしというのもなんだか違和感があり…。
 昔、母が板の上に寝る健康法をやっていたことがあるので、体に悪いことはないようなきがするけれど、やはりなんだかだらしない感じが否めない。
そもそも本当は12時には就寝したいのになんだかんだと2時くらいまで起きてしまっているのが問題。そこを改めるのが一番なんだとわかっているけれど、このウダウダには何か原因があるような気もする。
そこを無視して改善できるならしたほうがいいとも思う。

それにしてもこの年齢になってもまだ惑っているのはどうなんだろう。わたしだけ?
これ、と決めて没頭できるような事があればと思うけれど
絞りきれず、どれも中途半端。そんなことが日々を悶々としたものにしているのはわかってる。

とはいえ贅沢なんだと思う。なんだかんだ中途半端なりにやりたいことができているわけだし。もう一段負荷レベルをあげるべきだということもわかってきた。
それができるかどうか。できればいろいろなものからも脱却できると思う。
でも、できないからここまできちゃったという説もある…。
それを覆したい。まだ諦めないぞ。

いろいろ迷うけど、とりあえず1月のイタリア行きがあるのでイタリア語のブラッシュアップをほんきでがんばる。

子どもの声が騒音・・・

保育園と近隣がもめているとか、新しくできる保育園に反対、とか…。

確かに無ければ静かだけれど、必要なものだから、どこかには作らなくちゃ。

放射能汚染物質の処分場ができるとか、そういうことに直面している人々からしてみたら、代わりましょうか?って思ってしまうようなことかなぁと。私の実家は近くに米軍基地があったから、「誰かが何か引き受ける」のは体験済み。

あれも嫌これも嫌では。

みんな自分勝手で。面倒なものは、避けられるなら避けたいと思っている。本心がそうなのは仕方ないけど。それの綱引きで世の中動いている。でも、勝った負けた以外のアイディアが無いものかしら。

息子の恋模様が気になる?

どうやら一年と少し付き合っている彼女とうまくいっていないようで。もしかしたら別れちゃったかもしれません。

夏休みに花火大会とか、海とか行かないから、あれ?と思ってはいたけれど。

どっちの気持ちがどうなのかは知りません。なのでどっちがかわいそうなのかもわかりません。

ただ、元気がないとか、様子が違うとかわかっちゃうんだよなぁ。

こういう時は、こうしたら?とアドバイスしたい気持ちが少し湧くけれど、それは変なので黙っています。

まだ恋愛もどきのそれが心配になるのだから、お姑さんが結婚した息子を気にかけるのはあたりまえだね。嫁にひどいことをされてないか心配してしまうものなのだろうとおもいます。

これからどんどん心配はしても手出しはできないことが多くなっていくんだなぁ。

そこを手出し口出ししてしまう親も増えているという・・・。婚活も親がするとか。

そんなことをしなくて済むように自立をうまく手助けしたいものです。